私・永谷信之は、1981年に千葉大学工学部画像工学科を卒業し、2年間印刷会社に勤務していました。
社会人となって思ったことは、自分はひとりで生きているのではなく、人と人との関係の中で生かされているということです。
これからの人生で何か人のためにできることをしたい、この世に生を受けて自分が後悔しない人生を送りたいという思いが強くありました。
それらは、母の薬剤による骨髄疾患、父の脳梗塞・がんの発症など、人の命の大切さ、人の命のはかなさを目の当たりにした時、痛感しました。
また、対応した医師の1人のがん患者に対する冷たい対応は、自分が医師になってこのような事を他の患者さんやそのご家族にさせないようにしたいという気持ちを起こさせ、強い憤りを感じざるを得ませんでした。
その時の母のさみしそうな顔・涙は、今も忘れられません。
このような思いから、医師の道を目指したわけです。
1993年に産業医科大学卒業、産業医科大学第2外科、長崎大学第1外科で胸部外科・消化器外科を学びました。
もともとER(救急救命)に携わりたいと思っていたこと、医療をするなら一番つらい道を歩もうと思っていたことからこの道を選んだつもりでした。
ところが、肺がん患者さんの術後や、抗がん剤治療で苦しんでいる姿や、がんの手ごわさに直面するたび、「こんなにつらい治療は自分だったら耐えられないだろう」と感じ、それを平気で患者さんにしている自分が、父のときの主治医の一人とダブってきて、「もっと優しい治療はないだろうか」と考え、代替療法を行っている病院に勤務することにしました。
ここで10年間、約3,000人以上のがん患者さんの治療にあたって参りました。
しかし、思うような結果が得られないこともあり、自分がするべき道を歩むことを決めたのです。それが、海外では承認されているけれども、日本国内ではまだ認可になっていない薬の治療です。
中でも生体にそれほど害のないものとして、
分子標的治療薬(今では日本でも認可されてきています)
新生血管阻害薬
細胞免疫療法
ワクチン療法
漢方薬
高濃度ビタミンC点滴
放射線
温熱等の物理療法
などです。
そして、治療を行っていく中でもう一つ大切な要素は心のサポートです。
これらあらゆる治療方法を駆使して、新たながん治療、自分で受けたいがん治療を目指してスタートしたのが『ナガヤメディカルクリニック』です。
ここでは、可能な限り患者さんの命を一番と考え、何とか生きていただきたい、そして自分の命を、悔いのない人生を全うできるようにお手伝いをさせていただきたいと思っております。
みなさんの人生の、少しでもお役に立てればと思っています。
医療法人社団 統合医療会
ナガヤメディカルクリニック
理事長・医院長 永谷信之